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プロフィール

はじめまして 。

私、金城 昌之(きんじょう まさゆき)は、あの偉大なるレゲエ神様:ボブマリー氏の命日にあたる
1981年5月11日の翌日5月12日に首里城から徒歩10分の立地にある
沖縄県の那覇市首里山川町で、沖縄の伝統的染色技法 琉球紅型師(りゅうきゅうびんがた)の父と 専業主婦のやさしい母の元に生まれた 一人っ子です。

高齢出産で生まれた一人っ子なので、とても大切に育てられ、基本的にやりたい事はさせてもらい 自由きままに成長しましたが

ひとつ、たったひとつだけ 絶対に進んではいけないと念仏のように言われた事があります。

それが 「琉球紅型にたずさわる事」

父が、『この業界にだけは絶対に来てはいけない』と言った事には理由があります。

それは、父が琉球紅型の職人になる上で最も重要としている資質として

「絵を描くことが好き!」 という事があります。

父がよく言う言葉のひとつに 「どんなに素晴らしい琉球王朝時代の紅型(びんがた)でも、最初はだれかが、スケッチしてデザインした」

絵を描く事が好きじゃないと、魅力ある作品を生み出す事ができない。

琉球紅型の職人として父が大切にしている信念だとぼくは感じてます。

父の鞄の中には、いつもスケッチブックが入っており、外出時、ふとした時には絵を描いているイメージがあります。

そんな父の元に育っているので、物事ついた時から当たり前のように、テーブルには白い紙とクレヨンなどが置かれており、強制的に絵を描かされたのを覚えています。

無理にやらそうとすると、その物事って苦痛になるんですよね(笑)

物事ってそうやって、嫌いになのかなと思います。

もちろん「ぼくは絵を描くことが大嫌い」になったという事は言うまでもありません。

その事に早々に気づいた父は、ぼくに琉球びんがたの技術を一切教える事なく それ意外の事に関しては

大学進学を諦めて「IT系の基礎を学ぶ為にコンピューターの専門学校に行きたい」と言ったら行かせてくれたり

ITの言語は英語なので英語でITのを学びたい!」と言ったらオーストラリアに留学させてくれたり

本土の厳しい環境で「人生の中で最も高額な買い物である『不動産売買』の営業をやってみたい!」と伝えたら快諾してくれたりと

紅型職人になるという道以外には、一切「No!」とは言わなかったです。

そして、今から約10年前に当時、大好きだった女性にフラレ、新しい彼氏がモデル体型のスラットしたイケメンだった事もあり、当時100kg近くあったぼくは

「人は見た目が100%だ!」と思い、生まれて始めて本気でダイエットに挑戦しました。

高校を卒業した18歳の頃から 「痩せたい!痩せたい!!痩せたい!!!」 と言い続けて痩せられなかった僕が 「あなたの為に痩ました!」 という、これだけ相手の事が大好きですという想いを身をもって表現する事ができれば

「気持ちは絶対に伝わる!」 と考えました。

そこまで決意を固めると もはや空腹の苦痛ですら 「快楽」に感じられ フラれてから約半年で マイナス25kgのダイエットに成功する事ができました。

自信を持ったぼくは、再会する為に元カノに電話をかけました。

半年ぶりに電話に出た元カノから言われた一言は

「今はもう結婚して、赤ちゃんが出来たので、会うことはできない」

オ、オレのこの半年の努力って何だったんだろう・・・・・

と何の為にダイエットに成功したかがわからなくなりました。 同時にこれから何を目標に生きて行けばいいのか。 全くわからなくなり、明日が見えなくなりました。

ちょうどその時につけたテレビチャンネルが「恋愛バラエティ番組 あいのり」で

「コ、コレだ!!!」と直感的に感じ、今回の出来事をネタにして出場しようと思いました。

思い立ったら即行動! その次の瞬間から、全力で応募動機を作成し、当時、仲の良かった同僚に見せた所

「あいのりって3ヶ月で何人に出会える?」と聞かれ

「6,7人かな・・・」と答えたら

「もし、3ヶ月で200名の女性に出会える場所があったら、行く?」 と聞かれ、即答で

「行く!!!!!!!」 と答え翌日、ピースボートセンター東京に連れて行かれました。

そして、ぼくは第68回 ピースボート地球一周の花嫁探しの旅に乗船する事になりました。

ぼくの異常なまでのショートカットヘアーフェチが仇となり、ショートカットヘアーの女性を目の前にすると

とても緊張してしまい、スムーズに会話をする事ができず最初は

ダイヤモンドは、傷があるから美しい・・・ と言っていた僕も次々に玉砕していきました。

そして乗船してから60日が経過する事には 「ぼくの未来の奥さんはどこに・・・・・・・・」 と肝心な花嫁探しという目標を完全に見失っておりました。

そんな時に たまたま、ディナーをご一緒にした40代中盤くらいの実業家の方に言われた一言が僕に衝撃を与えました。

「沖縄ほど、自然も歴史も文化も残っている所は、世界を見渡しても早々ない!」 と言われ、これまで周って来た観光地を思い返しました。

1.青い海、どこまでも続く白い砂浜などの「自然」がある。

2.琉球王朝時代の様々な「歴史」も残っている。

3.三線やエイサーやシーミー(墓参り)などの独特の文化も残っている。

さらには、首里城などの世界遺産まで多数残っている。

それまでは沖縄は何もなく、何でもある最先端な東京などの都会の方が好きだったのですが 「『沖縄』って、とっても魅力的な場所だ!!!」 と心の底から思う事ができました。

さらに 「この魅力あふれる沖縄の素晴らしさを多くの人に伝えたい!」 と思いましたが、沖縄の魅力って 「自然」 「歴史」 「文化」 とてもジャンルが広く、どの分野から自分なりに伝えようか真剣に考えてました。

そんな事を考えていると父が伝統工芸の仕事に従事している事を思い出し

「父のやっている仕事って、実はとても素晴らしい仕事なのでは・・・」 と思うと同時に父の携わっている

「沖縄の伝統的染色技法:琉球紅型の可能性」 を感じました。

そして、ぼくの中に 「琉球紅型(びんがた)を通して沖縄の魅力を伝えたい!」 という使命感が芽生えました。 .

船旅から帰国後の29才の時に一大決心をし 「琉球紅型の職人になりたい!」 と父に話ました。父からの第一声が

「この、オオバカヤロォーーーーーーーーーー!!!」 と、もの凄く怒られたのを今でも覚えております。

基本、あまり怒らない父ですが、紅型職人としての資質がなくかつ一人前の職人になるには最低10年はかかる考えているこの道にIT系の専門学校、オーストラリア留学、本土での営業職を経験させた結果 「紅型職人になりたい!」 という決断が父には、とても許せなかったのではないかと思います。

ただ、そこだけ怒られたのにも関わらず諦める事ができなかったのは

地球一周の船旅に参加して、世界各国の観光地を見て、自分なりに感じた使命感

「琉球紅型を通して沖縄の魅力を伝える」 を感じたからだと思います。

そして、まずは沖縄観光関係の仕事に従事していたら何かきっかけが掴めるのではないかと思い、行政関係の地域振興の補助員として働く事にしました。

そこで働いている時に

「自分で1からデッサンをして型紙を作るあなたの父はとても貴重な職人なんだよ!」

「あれだけ、琉球王朝時代の古典紅型(びんがた)を研究してる職人はなかなかいないよ!!」

「70歳を過ぎた今でも現役で、紅型に対してあれほどの熱意で取り組んでいる職人にはとても貴重だよ」

などなど、沖縄県の伝統工芸業界に携わるいろんな方々から父が1からデザインを制作している事の凄さや、琉球王朝時代の色彩に対するこだわりなど様々な事を聞き、改めて父の作品を見た時に生まれて初めて琉球紅型を

「美しい!!!」と感じました。

そして 「どうにかして、父の作品を持ちたい!」と思いました。

ただ、父が制作している紅型は基本的に呉服にする為の生地です。仕切りが高い上に高額で現代社会で日常的には、あまり着用しない着物。さらに当時から父が主力で制作していた商品は「帯」だったので、父がどんなに素敵な作品を作ってもぼくが着用する事はムズカシイかったです。

それでもぼくは、父が制作した「琉球紅型」を身近に持ちたくて、日常的に着用したくてたまらなかったです

「沖縄の伝統工芸品「琉球紅型」ってカッコイイ!!!」 と誰かに言って欲しかったです。

そんなぼくは、カバンや財布、シャツなどこれ作ったら

「紅型を活かした素敵な商品ですね」など言われるんじゃないかな。と直感的に思ったモノはすべて、オーダーメイドをしてでも作ってみました。

ただ、どうしても琉球紅型を全面に出すと、生地が汚れてきたなくなってしまうと、紅型本来の美しさが失われてしまうという事は感覚的にわかっていたので、自分なりにいろいろ考えて色を琉球藍の青で統一して帆布と組み合わせてカバンを作ったりしました。

やっぱり、色を統一すると紅型の柄の部分が目立ってしまい、心の底から

「このカバン、イイでしょ!」 って言えない自分がいました。

革財布の裏地だったら、さりげないオシャレっぽくていいのかなと思って制作してみたのですが

「裏地だと相手に見せる事ができないので、完全な自己満足で、琉球紅型で沖縄の魅力をPRとは、なんか離れてしまうような感じがしました。」

部分使いの革の名刺入れだったら、表面にも使えてシンプルかつオシャレな感じになるのかなと思ったのですが

「部分使いだと、琉球紅型より革が目立ってしまい、PRにならいない」というか、別に部分使いの部分が紅型じゃなくてもいいよね・・・って思ってしましました。

やっぱり、元々は生地で小物用ではなく服飾用なので、思い切って普段は使用しない木綿生地に染めてシャツを作ったりしましたが、総柄シャツってお世辞にカッコイイとは言えずなんか、紅型を無理やり服にして着ている感じがしたんですよね・・・w

こんな感じで、思いつく事はいろいろ挑戦しました。でも

「琉球紅型ってカッコイイでしょ!!!」と本気で伝えたくなるような商品を開発することはできませんでした。

そんな試行錯誤を繰り返しているある日、父と話をしていると次世代に残したい琉球紅型の要素は

「『色』と『柄』なんだよね・・・・・・」と、何気なく言った一言がぼくの心に突き刺さりました。

また、父は雑誌の取材などでも

「どんなに美しい琉球王朝王朝時代の紅型でも最初は誰かがデザインした!」 と言っており、琉球紅型の「柄(デザイン)」をとても大切にしております。

スケッチするのがとにかく好きで、いつもスケッチブックを持ち歩いています。そこで

『父が大切にしている「柄」をコンセプトにした商品開発がしたい!』と思いました。

これなら、父が次世代に伝えたい琉球紅型の本質もついているし、自分なりの視点も加えて琉球紅型の魅力を伝える事ができる!!!と、直観的に感じ

「どんなに時代が変わろうとも『変わることのない』琉球びんがたの美しさ」

をコンセプトに金城プロモーションを立ち上げました。

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