Shoutarou Binagata NAHA

琉球紅型の魅力を後世に伝えたい!紅型師:金城昌太郎について

こんにちは。
Shoutarou Binagata NAHAの
金城です。

本日は
私の父でもあり
琉球紅型職人
金城昌太郎
についてご紹介いたします。

なぜ、昌太郎の事を
お伝えするかと言うと

Shoutarou Binagata NAHAが伝えたい事は

紅型師:金城昌太郎が
後世に伝えたい
琉球紅型の魅力

だからです!

とても大切なので
もう一度だけ言わせてください!

Shoutarou Binagata NAHAは

【紅型師:金城昌太郎が】
伝えたい琉球紅型の魅力を
シャツとして表現するブランド

です。

その為には
昌太郎が
どういう経緯で
紅型職人になり

どこで修行し

どのように
職人としての
スキルを身に付けて
いったのかを知る事で

はっきりと
昌太郎が伝えたい
琉球紅型の魅力が
明確になりますので
どうぞ、お付き合いくださいませ。

1.職人になったきっかけ

金城昌太郎は、
中学3年生の時に
担任の先生より

「沖縄には世界に誇れる工芸がある。

しかし、今回の戦争で
すべて焼き尽くされてしまった。

生き残った者で
力を合わせて
復興させようと思う。

郷土の工芸の為に
一生の仕事として
尽くす気のある者はいないか?

地味な仕事で
これから復興させるのだから
一人前んあるには
10年以上はかかる。

しかし、将来性のある仕事だ。」

を聞いて
紅型職人を目指そう!と
決意します。

2.修行した工房

15才の時に
名渡山紅型工房で従事し

工芸は
無から生まれるものではなく

【先人たちの歩みの中から学び創るもの】

と言う事を学びます。

16才の時に
本家である
城間びんがた工房に従事し
城間栄喜先生より

【伝統の紅型職人として生き方】

を学びます。

26才の時
沖縄県立首里高等高校 
染織デザイン科の助手になり
末吉安久先生より

【自由な発想の型絵染め】

を学びます。

また、稲垣稔次郎先生の書より

「 他の作品を模倣することなく
 自然に触れ自らスケッチし
 そこから創造をあみ出す 」

という、

【創作する大切さ】

を学びます。

27才の時に
金城昌太郎びんがた工房として独立し
今にいたります。

職人として
技術を習得する中で
昌太郎が後世に伝えていきたいと
思った事。

それは

【琉球王朝時代の職人の想い】

です。

昌太郎は
紅型職人の後輩達に
琉球紅型の美しさの原点である
琉球王朝時代の紅型の

【柄】と【色】

には、

すべて当時の職人達の想いが込められている。

当時の職人が
なぜ、
この柄を
この色で染めたのかを
試行錯誤しながら
制作する事で
見る人の心を動かす
美しい紅型になる。

と・・・

そして、昌太郎自身は
82才になった現在でも
自身の理想である
琉球王朝時代の紅型の美しさを表現すべく
今もなお、制作活動に励んでおります。

昌太郎が染めた
紅型の着物は下記になります。

最後まで
お読み頂きまして
誠にありがとうございます。

 

金城昌太郎びんがた工房へのContact

沖縄那覇の首里城近くで沖縄の伝統工芸品

「琉球紅型 - Ryukyu-Bingata - 」の制作を行う

金城昌太郎びんがた工房 です。

琉球紅型師/金城昌太郎(きんじょうしょうたろう)が、すべての工程を一人で丹精をこめて創作にあたっているため、年間わずか10本前後しか作ることが不可能な創作柄オリジナル着物帯となっております。

工房にて、金城昌太郎本人より作品の見学やご説明とご提供。デザインスケッチ時の思い出話など、作品にまつわる様々なエピソードなどをお客様ひとりひとりにお話ししております。

沖縄が誇る伝統工芸品「琉球紅型- Ryukyu-Bingata -」の世界観と魅力に触れてみませんか?一度、お話を聞きにお気軽に工房へお越しくださいませ。

作品へのご質問・購入や工房見学、その他お問い合わせ等については、↓TELまたはお問い合わせよりご連絡くださいませ。

 

▼琉球紅型 - Ryukyu-Bingata -に生涯情熱を注ぎ続ける。紅型師/金城昌太郎の作品ギャラリー集

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